ホームページを編集、スーパー速読解講座を追加しました。メロスはゲキオコ?

まなびやのホームページに、国語の「スーパー速読解講座」ページを編集しました。

スーパー速読解講座

 

従来の「読む蔵」に加えて、速読音読と書写を加えた講座になっております。

速読音読には、この教材を使っています。

意外と、これ使えます。

脳が活性化され、集中力も上がります。

授業の導入に使うと、その流れで勉強モードに入りやすくなります。

また、集中力が乱れてきた時などに使うのも効果的です。

 

私は昔から教材マニアなところがあり、良さそうな教材があると、片っ端から使ってみるのですが、その大半はハズレ(←失礼)です。

しかし、これに関しては大当たりでした。

 

音読という行為は、昔からある学習方法で、とかく古くさい方法と思われがちです。

しかし、「昔からある」ということは、裏を返せば「昔から効果が実証されている」ということでもあります。

やはり、昔の人の知恵は偉大です。

 

ちなみに、余談ですが、

「メロスは激怒した」

『走れメロス』の冒頭、有名な一節ですが、さて、これを何て読みますか?

「なに当たり前なことを聞くんだ!」とお叱りの声が聞えてきそうです。

そうです、「メロスはげきどした」と読みますね。

でも、これ、今の中学生には意外と当たり前なことではないようです。

 

塾生に読ませたところ、

「メロスは激怒した」を、

「メロスはゲキオコした」と読みました。

本人は、至って真剣です。

 

いや、違うよ。それ「ゲキド」だよ。

知らないことは恥ずかしいことではありません。

もちろん、そんなことで私はゲキドしません。

セリヌンティウスばりの優しさで、教えました。それ「ゲキド」。

 

しかし、生徒も譲りません。

だけど先生、ゲキドとゲキオコって同じ意味じゃないですか。

つまり、「メロスはゲキオコした」でも問題ないじゃないですか。

 

・・・いや、確かに今の言葉で怒ることを「オコ」って言うのは知っているよ。

そして、激しく怒ることを「ゲキオコ」とも言うんだね。

くしくも読み間違いを犯しながらも、意味は合っている。

だけどね、ここは「ゲキオコ」ではなく「ゲキド」と読むんだよ。

 

いや、納得いきません。

激怒を正しくは「ゲキド」と言うのは分かりました。

でも、「ゲキオコ」でも良いじゃないですか。

結局のところ、メロスがゲキオコしたことに変わりはないじゃないですか。

 

論理的な逆ギレに私もビックリです。

きっと、かの邪知暴虐の王も驚くことでしょう。

 

ことは、単なる読み間違いにとどまりません。

そうか、この子は「客観的な正解」よりも、「主観的な正解」を自らの思考の根幹に据えているのだな。

これは根が深い問題だぞ、と思いました。

 

振りかえってみると、他の科目の学習でも、その節はみえました。

とにかく自己流が多い。そして、間違えていても気にしない。指摘しても聞く耳を持たない。

それはそれで個性としてアリなのかも知れませんが、受験では弱い。

 

こと受験に関しては、「客観的な正解」を、速くかつ正確に求める能力が問われます。

私はこう思うからコレデイイノダ、は受験では通用しません。

私には、生徒を志望校に合格させてあげる責務があります。

 

これは長い戦いになるぞ。

入試という夜明けまでに、私は必ずこの子を導き、志望校に合格できる学力を身につけさせる。

これは激動の、ゲキドーの日々が始まるぞ!

と、心の中のセリヌンティウスに誓ったとか誓わないとか(なんじゃそれ)。

 

結局ダジャレに落ち着いてしまいました。

生徒の国語力以前に、私の国語力が怪しいものです。

んぐー。