人の性格は十人十色。
その中でも、勉強に向いている性格というのはあります。
向いているのはズバリ、粘着質な性格です。
これは、勉強というものの性質からある意味当然の帰結となります。
「ま、いっか~」、では壁を越えられない
勉強というのは、例えていうなら、跳び箱の様なものです。
跳び箱は、最初は低い段から初めていき、どんどん高くなっていきます。
最初は簡単に跳べたものも、どんどん苦しくなっていき、ついには練習無しには飛び越えられない高さになります。
勉強でも同じで、まずは基本問題から入り、どんどん応用問題に入っていきます。
初めは簡単に解けたものも、徐々に難解になっていき、やがて壁にぶち当たります。
この壁にぶち当たったときに、分かれ道が出来ます。
頑張ってその壁を乗り越えようとするか、その壁を無視するかです。
自分の解けない問題にあたったときに、「ま、いっか~」で済ませしまうと、それ以上の向上は望めません。
壁を越えるために粘り強く取り組む姿勢、つまりは粘着質なところが必要なのです。
知的職業と粘着性
勉強には粘着質な性格が向いているということは、実際の職業を考えてみても当てはまることが分かります。
頭を使う、知的な職業の代表例として、医者、弁護士、科学者を考えてみましょう。
これらの職業に共通して言えることは、課題が生じたときに、じっくりとしつこく考える必要があるということです。
医者であれば、難しい症例にあたったときに、「適当に」診断されては困ります。
現代医学のあらゆる情報を駆使して、的確な診断、処置が出来る様にしなければ、誤診、医療事故の元です。
弁護士であれば、クライアントの要望に応えられる様、微に入り細を穿つ事実分析が必要です。
「たぶん甲が正しいと思うんだけどな~」では、勝訴出来ません。
科学者は言わずもがな、自分の研究分野に恐るべき執着力で、一生をかけて取り組むものです。
ことほどさように、知的職業に粘着性は必要不可欠な要素です。
勉強に向いているということと、人間的魅力とはまた別のお話
こう言うと、何だか粘着質な性格を褒め称えている様に聞こえるかも知れませんが、別に人格として優れていると言いたい訳ではありません。
実際、ストーカーなどになったりするのも、粘着質な気質によるものですし、こだわりが強い人は、とかくうっとうしいものです。
自他ともに粘着質の頑固者を標榜する夏目漱石も、『吾輩は猫である』の中で、自身を癇癪持ちの胃弱、苦沙弥先生として登場しますが、あまりお近づきになりたくない感じの人です。
友人として接するには、「あっさり」「さっぱり」の人の方がよっぽど付き合いやすいものです。
勉強や知的な職業に向いているということと、人から好かれる要素とは必ずしも一致しないのは面白いところです。